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〈山口周 × 本田哲也(前編)〉物質的豊かさの、その先へ。今、普通に暮らす消費者こそが、ナラティブカンパニーを必要としている。

〈山口周 × 本田哲也(前編)〉物質的豊かさの、その先へ。今、普通に暮らす消費者こそが、ナラティブカンパニーを必要としている。

独立研究者・パブリックスピーカーである山口周さんの最新刊『ビジネスの未来』は、「ビジネスはその歴史的使命をすでに終えているのではないか?」という問いかけから始まる刺激的な一冊です。その答えが「Yes」なのだとしたら、これから企業はどのように振る舞い、社会に何を提供していくべきなのでしょうか。実はそこにもナラティブが深く関わっていると指摘する山口さん。戦略PRの第一人者である本田哲也との示唆に富んだ対談の模様を前後編でお届けします。

「登山」の時代が終わりを迎え、「高原」の時代がはじまった

本田:対談にあたって山口さんの最新刊『ビジネスの未来』を改めて読み直しました。気になるフレーズは尽きないのですが、まず惹かれたのは繰り返し用いられる「登山」と「高原」という比喩です。まさに今の時代状況をピタリと言い表した言葉だと感じました。

山口:ありがとうございます。本書を未読の方に向けて簡単に説明すると、人類は古来より「生存を脅かされることのない物質的社会基盤の整備」という「登山」を続けてきました。つまり、右肩上がりの経済成長を目指し、それに挑み続けてきたわけです。ところが今、さまざまな統計が示すのは、私たちはすでに「物質的貧困」からほとんど解放されているという事実です。「経済成長」という「登山」は終わり、私たちは誰もが「総じて幸福」と感じるような「高原」へと到達したのではないか。そんな見立てです。

本田:ご説明ありがとうございました。そうした「高原」の時代において、企業にはどのような振る舞いが求められるとお考えですか?

山口:「登山」の時代、つまり20世紀以前の世の中には、不便や不安、不満がいたるところに溢れていたはずです。企業はそれらの課題を解決することで、一種の免罪符を得ていた。その典型が水俣病を引き起こしたチッソでしょう。時の政府はチッソに対して一時的な操業停止を命じた訳ですが、当時の人々は心のどこかで、「水俣で暮らす人々の命や健康よりも、チッソがもたらす化学肥料によって社会全体が富んでいくことの方が大事」と考えていたのではないでしょうか。

もっと身近な家電を例に考えてみましょう。一般家庭にはじめて冷蔵庫が置かれるようになった頃、その便利さを味わったばかりの人々が、仮に冷蔵庫の冷媒であるフロンガスが環境を破壊しているという事実を知ったとしたら。彼らは冷蔵庫の使用を止めたでしょうか。答えはNOだと思います。

しかし、現代において、「野菜を今までよりおいしく保存できる」「解凍がすごく早くなる」といったメリットがある代わりに、自然に負荷をかけるような冷蔵庫があったとしたらどうですか? 恐らく誰もそんなものは使いませんよね。つまり、不便さと便利さのバランスがある分水嶺を超えると、人々は製品やそれをつくる企業に向けて、非常に厳しい眼差しを向けるようになるのです。今はまさにそういう時代の真っ只中です。企業は常に「あなたたちの社会的な存在意義は?」「それで私たちに何を与えてくれるの?」と問われている。それに対してある種の饒舌さをもって答えられない企業は、これからは少し苦しくなってくるのではないでしょうか。

企業と消費者を隔てていた壁を、インターネットが突き崩した

山口:インターネットも、企業の立ち位置を大きく変化させたはずです。ネット登場以前は、企業の世界と生活者の世界とは、ものすごく高い壁で隔てられていましたよね。そこに小さな窓がいくつか設けられているのだけれど、その開け閉めはすべて企業側が握っていた。つまり、何を見せて何を隠すかを、企業側がコントロールできていたわけです。

けれどWindows95の登場以降、文字通り「窓」の数が爆発的に増えていきます。今ではもはや窓の数が多すぎて、壁そのものが機能していないと言っていいでしょう。企業は外から丸見えで、どんな情報も隠すことができない。これが、企業が置かれている状況だと思います。
本田:壁と窓のアナロジーは、すごく腑に落ちました。窓の数がまだ限られていた時代に、その開け閉めという利権をがっちり握っていたのが、広告代理店というわけですね。人々が憧れるような美しい世界を、窓越しにチラチラと覗き見させることが、彼らの仕事だった。反対に、見せたくないものが映ってしまいそうなときに、カーテンをさっと閉めるのが「広報」の仕事だったと言うこともできそうです。

いずれにしても、情報の非対称性を担保する「壁」の存在を前提に、情報を取捨選択することで企業に利益をもたらすことが、広告やPRの役割だったのではないでしょうか。だから壁が消失した今、広告業界もPR業界も右往左往しているというわけです。

山口:そうすると壁がなくなったことで、これまではパッシブな役割を担っていたPRが、プロアクティブに働くことを求められるようになった、と言うこともできそうですね。それこそまさに積極的にナラティブを紡いでいかなければならない。

本田:そう変わっていくべきだと思いますね。とはいえ、これまで何十年とパッシブな仕事をしてきた人が、急にプロアクティブになれるかというと、それは難しい。ある意味ベテランにとっては厳しい時代です。マインドセットも、ナレッジも、スキルも、求められるものがかつてとはガラッと異なってきていますからね。

ナラティブに責任を持つべきなのは誰だろう?

山口:『ナラティブカンパニー』で面白いなと思ったのは、本田さんの思考のプロセスが、ブランディングの考え方に非常に似ているということです。どんなコンテキストに則って、どんなパーセプションを獲得するのか。それを最上流の工程から考えていくプロセスは、まさにブランドストラテジーの構築プロセスにそっくりです。

本田:そうですね。だから本書はPRの戦術を紹介した書籍ではないんですよ。むしろブランドストラテジーに、PR的な発想をつけ加えませんか、と提案している側面もある。それは物質的な幸福に溢れた「高原社会」において、押しつけがましくないインタラクティブな物語を紡いでいくためには、PR的なものの見方は欠かせないと考えているからです。

山口:そういった仮説を、どのように組み立てていったのですか? やはり実践のなかで少しずつ揉んでいったのでしょうか。

本田:こういう仮説を頭のなかだけで体系的に組み上げるのって、ほとんど不可能じゃないですか。この2、3年間で『ナラティブカンパニー』のなかで紹介したような事例が、立て続けに舞い込んできたんです。そこで成功と失敗を繰りかえしていくなかで、ある種の傾向が見えてきた。それを「ナラティブ」という概念で整理し、エッセンスを凝縮していった、という感じです。だから、本当に実地での経験があってこその本なんですよね。

山口:そういう感じは、ヒシヒシと伝わってきますね。一方で、本書のなかではあまり触れられていなかったのですが、今日はぜひ伺いたいことがあって。それはナラティブを誰がコントロールしていくのか、という問題です。広報部なのか、企画経営部なのか、ブランディングチームなのか。ブランドごとに個別のチームを設けている場合、さらに事態は複雑です。あるいは、経営者自身がナラティブの手綱を握っているという企業も少なくありませんよね。

本田:難しい問題ですね。実際に、僕のところにも同じような相談がいくつもきています。企業のサイロ化が進みすぎていて、下手をするとナラティブに関係ありそうな部署が10部門くらいはある。こうなってくると、もはや収拾がつきません。でも基本的には、ナラティブをコントロールしていくのは、経営者クラスの人間であるべきです。

ちなみにアメリカだとチーフ・ナラティブ・オフィサーとか、ストラテジック・ストーリーテリング・オフィサーとか、呼び方はさまざまですが、企業のナラティブを管理する責任者を設けようという動きもあります。こうしたリーダーが社長直下について、全体のナラティブをコントロールしていくことが理想ではないでしょうか。

毒にも薬にもならないナラティブに、意味はない

山口:一方で、本田さんも書かれていたように、ナラティブでは矛盾が許されないじゃないですか。言行不一致はすぐに見抜かれ、これまで培ってきた信頼をも、一瞬で奪ってしまう。ある意味でフラジャイルなナラティブを、水際で守っていく人も必要ではないでしょうか?

本田:外部のブレーンが、その役割を担っている部分はありそうですね。企業の内部の人間だけが集まっていると、社内のロジックが優先されて、客観性がないがしろにされてしまいます。そういう盲目的な状況に陥ると、気付いたときには語るべきナラティブからかけ離れたことをやったり言ったりしてしまう。外部ブレーンがいれば、そういう事態はある程度まで防げると思います。

客観性を維持するには、「ナラティブスクリプト」としてナラティブのあり方を可視化しておくことも有効です。何かを判断するときに、常にスクリプトを意識するようにしておけば、ナラティブから外れる心配はなくなります。

山口:なるほど。ただし、言行が一致していれば、必ずしも批判されないかというと、そうではありませんよね。一貫性があったとしても、そもそもがコントラバーシャル、すなわち物議を呼ぶようなナラティブだと炎上しかねない。かといって、毒にも薬にもならないようなものでも意味がない。そこもナラティブの難しさだと思いました。

例えば、本田さんがナラティブカンパニーの代表にあげているパタゴニアにしても、かつてはそのナラティブが万人に受け入れられていたわけじゃないと思うんです。少なくとも日本では、彼らのナラティブが受け入れられるようになったのは、ここ20年くらいのことです。それ以前は、8割くらいの人は環境保護を強く訴える姿勢に違和感があったのではないでしょうか。もちろん、だからこそ残りの2割の人が熱烈に支持したわけですけれど。8割を捨てて、2割を獲りにいくのは、戦略としてはアリですが、なかなか勇気の要る選択だと思います。

言葉にならないモヤモヤを言い当てるような、そんなナラティブを

本田:相当の勇気が要りますね。

山口:オーナー社長ならまだしも、サラリーマン社長にそういった決断ができるのか……。でも、尖っていないナラティブに、意味はあるのか。やっぱりそんな風に考えてしまいます。
本田:ナラティブはある程度尖っているべきだと思います。そもそも現代において、「国民全員が納得するナラティブ」なんて成立し得ない。だから、「これは誰に向けてのナラティブなのか」をはっきり定義する必要があるんです。私たちが信じているのはこんなナラティブで、それに共感できる人はついてきてほしい。そういったはっきりした態度を示すべきです。そうすることで企業の存在意義も確立されるし、本当の意味で重要な顧客を集めることができるから、ビジネスとしても研ぎ澄まされていくはずです。

ただエッジの効いたナラティブをつくろうとすると、「すごく素敵なナラティブですけど、世の中に出したときにバッシングされませんかね?」と心配される方が多いのも事実です。あとは欲をかいて「昔からのお客様が離れてしまいませんか?」と不安がる人もいる。私はそういうときは、「どちらを選ぶか決めてください」とはっきりお伝えするようにしています。未来のお客さんを取るのか、過去のお客さんを取るのか。最後はそれを自分たちで決めるしかないんですよね。

あとはやっぱり、ナラティブに基づいて何かを仕掛けたときに、最悪なのは「何の反応も起きない」ことです。だから良くも悪くも感情を揺さぶる、議論のきっかけとなるようなナラティブを目指すべきだと思っています。

山口:今は企業だけでなく、消費者一人ひとりもナラティブを切に欲していますよね。物資的な豊かさが達成されたからこそ、人生に意味を与えてくれるような物語を必要としている。そういう意味では消費者も、共感できるナラティブを共創できる企業を求めていると思うんです。けれど、そういう消費者に見つけてもらうには、やっぱり八方美人ではダメですね。誰かに好かれることは、誰かに嫌われること。それをしっかりと覚悟して、ある種ポジショニングをはっきりさせてナラティブを語っていくことが、消費者を巻き込んでいくためには重要なのではないでしょうか。

本田:おっしゃる通りだと思います。ただ注意すべきなのは、消費者は自分がどんなナラティブを必要としているのかを自覚できていないということです。暮らしのなかで引っかかることや、モヤモヤすることはあるんだけれど、何を求めているのかはわからない。そこでパッとインサイトをえぐるような、「私が求めていたのはこれだったんだ」と気付かせるようなナラティブを世の中に送りだせたら、それが一番だと思いますね。

(後編に続く)

「Narrative Genes ~ナラティブの遺伝子たち~」

企業と社会の関係性が見直される時代に注目が集まる「ナラティブ」を
PRストラテジスト・本田哲也を中心に、企業経営、ブランディングの先駆者と共に考えるウェブサイト。

「ナラティブ」とは、企業と消費者(生活者、ユーザー)との「共体験」の物語のこと。
企業経営において重要な「共創」に着目した、新たなアプローチ概念です。

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