「ナラティブ経済学」から読み解く、ナラティブとは
近年、様々な分野で耳にすることが増えた「ナラティブ」という言葉。広報やマーケティング、PRの領域 だけでなく、経済学の領域でも用いられはじめています。2019年にアメリカで発売され、その斬新な発想から脚光を集めたのが、経済学者でありノーベル経済学賞を受賞した経験を持つロバート・J・シラー教授の著書、「ナラティブ経済学:経済予測の全く新しい考え方」。
今回は、2021年7月の日本版発売後さらなる話題を呼んでいるこの本についての解説を、ニューバランスジャパンでマーケティング部のディレクターを務める鈴木健氏にご寄稿いただきました。
経済学は「道徳」という人間の心理から始まった
『ナラティブ経済学』著者である経済学者のロバート・シラー教授は、以前の著作である『アニマル・スピリット』にも記述がある通り、経済活動は本来、人間の活動であることを強く意識されており、株価やGDPなどの数字だけではなく、人間の心理(スピリット)や動機、そして「道徳(何が社会的に善悪か)」といったものがどのように経済に作用し、動かしているのかを研究の対象にしています。
この流れは、経済学者ジョン・メイナード・ケインズの言葉の引用である、アニマル・スピリットという言葉そのものが、経済活動には人間の精神自体が根本的に重要だという視点の延長線上にあります。また、経済学という学問は常にその意味で、人間社会の正しい精神のあり方と強く結びついており、市場の「神の見えざる手」を想定したアダム・スミスも経済学者であると同時に道徳学者だったことを忘れてはいけません。
経済に関わる行動に人間の心理が深く作用している、という視点は、今流行中の行動経済学にもあてはまります。シラー教授も行動経済学によって、経済学が前提としていた「合理的判断をする人間」という像が変化したことを積極的に評価しています。行動経済学でおなじみのヒューリスティックスやバイアスのような具体的な「非合理的な人間行動」の例は、人間がさまざまな状況や文脈によって、判断が「非合理的に」変化しているという実例そのものです。
この流れは、経済学者ジョン・メイナード・ケインズの言葉の引用である、アニマル・スピリットという言葉そのものが、経済活動には人間の精神自体が根本的に重要だという視点の延長線上にあります。また、経済学という学問は常にその意味で、人間社会の正しい精神のあり方と強く結びついており、市場の「神の見えざる手」を想定したアダム・スミスも経済学者であると同時に道徳学者だったことを忘れてはいけません。
経済に関わる行動に人間の心理が深く作用している、という視点は、今流行中の行動経済学にもあてはまります。シラー教授も行動経済学によって、経済学が前提としていた「合理的判断をする人間」という像が変化したことを積極的に評価しています。行動経済学でおなじみのヒューリスティックスやバイアスのような具体的な「非合理的な人間行動」の例は、人間がさまざまな状況や文脈によって、判断が「非合理的に」変化しているという実例そのものです。
ナラティブとは人々の日常的な会話が経済を動かすさま
シラー教授は、その非合理性を一歩進めて、新たに「ナラティブ」という言葉で説明していますが、この言葉を単純に「物語」と解釈してしまうと、彼が意図した意味を見落としてしまうかもしれません。というのは、『ナラティブ経済学』の第二章にある通り、シラー教授は経済学を他の学問領域、社会学、心理学、マーケティング、宗教学、神経科学といった人間の行動の要因を広くとらえる視野から捉えており、そのうえで最終的に集約されたのがこの「ナラティブ」という言葉だからです。
シラー教授のアプローチは、「ナラティブ」という言葉によって、物語という形でのアイデアの伝播と、その物語の感染性を高める努力、そしてそれがどう経済事象に影響するか、という点に注目しています。興味深いのは、アイデアの伝播というのが、文献や論文といったようなものに限らず、市井の人が実際に語った話、それは古くは新聞の読者の投稿欄や、ジャーナリストとタクシー運転手との会話として示されます。そしてときとして、物語に登場する「魅力的なセレブ」(大物の有名人の場合もあり、そうでない場合もあり、またフィクションの架空の人物の場合もある)が役割を果たします。
したがって「ナラティブ経済学」においては、1930年代の世界恐慌のような経済事象を、単に現在の歴史的解釈における「世界恐慌」ではなく、(当然ながら当時の人々は、最初からこの株価暴落が世界的に広がることも想像しておらず、同時に恐慌(depression)とも呼んでいませんでした)これがどのように物語として語られるようになったか、という現象に注目します。
恐慌によって職を失い収入を失ったことで、以前のような見せびらかすための顕示的消費が減り、倹約的な生活によって自転車や、ブルーデニム、段ボール製のジグソーパズルといったライフスタイルやファッションが流行し、新しい自動車や家を買い控えるという具体的な動機と行動の変化を、当時の新聞の記事から読み解きます。そしてこのような倹約ナラティブは、恐慌のみならず戦争のような苦境や、不況時に繰り返し語られます。
シラー教授のアプローチは、「ナラティブ」という言葉によって、物語という形でのアイデアの伝播と、その物語の感染性を高める努力、そしてそれがどう経済事象に影響するか、という点に注目しています。興味深いのは、アイデアの伝播というのが、文献や論文といったようなものに限らず、市井の人が実際に語った話、それは古くは新聞の読者の投稿欄や、ジャーナリストとタクシー運転手との会話として示されます。そしてときとして、物語に登場する「魅力的なセレブ」(大物の有名人の場合もあり、そうでない場合もあり、またフィクションの架空の人物の場合もある)が役割を果たします。
したがって「ナラティブ経済学」においては、1930年代の世界恐慌のような経済事象を、単に現在の歴史的解釈における「世界恐慌」ではなく、(当然ながら当時の人々は、最初からこの株価暴落が世界的に広がることも想像しておらず、同時に恐慌(depression)とも呼んでいませんでした)これがどのように物語として語られるようになったか、という現象に注目します。
恐慌によって職を失い収入を失ったことで、以前のような見せびらかすための顕示的消費が減り、倹約的な生活によって自転車や、ブルーデニム、段ボール製のジグソーパズルといったライフスタイルやファッションが流行し、新しい自動車や家を買い控えるという具体的な動機と行動の変化を、当時の新聞の記事から読み解きます。そしてこのような倹約ナラティブは、恐慌のみならず戦争のような苦境や、不況時に繰り返し語られます。
ナラティブは新しい経済学を生み出す法則になり得るか
興味深いのは、ナラティブは単純なストーリーテリングと違って、長い時間軸のなかの反復性を持っていることです。シラー教授はそれ以外にも、ナラティブが単なる現象の解釈としての物語という意味にとどまらない、その特長を7つ挙げています。
1. ナラティブの流行は速度も規模も様々
2. 重要な経済ナラティブは世間的な話題のごく一部でしかないこともある
3. ナラティブ群は単独ナラティブのどれよりも影響が強い
4. ナラティブの経済的な影響は変化するかもしれない
5. 虚偽のナラティブを止めるには真実だけでは不十分
6. 経済ナラティブの感染は反復機会を利用する
7. ナラティブはつながりで栄える:人間的興味、アイデンティティ、愛国心
特に5で真実でないナラティブも感染する恐れがあり、2のようにそれが目立たない場合でも重要な経済ナラティブになる可能性もあって、1と4のように時間軸や規模が読めず変化するとなると、ナラティブ経済学において発見されるナラティブの感染と経済への影響とは、必ずしもわかりやすい法則というわけではありません。ここで示されるのは、個々の人々の行動に意味があるというより、社会において集合的には確率的な差となり、全体としてみると他の要因と容易に混ぜ合ってわかりにくくなりがちです。
したがってそれは正直に言えば、未来を予測することよりも、過去の行動の説明要因のひとつにしかならないでしょう。実際、シラー教授の考える「ナラティブ経済学」の説明だけでは、期待していたような、今後の経済的な変化を予測するものとしては、残念ながら難しいように感じられます。
にもかかわらず、この本が示唆的なのは、人間の行動の要因を探るうえで、いったい何がきっかけになっているのか、人間は過去から学習しているというよりは、不思議なほど同じことを何度も繰り返しているという私たちの歴史を理解できることです。
たとえば、ビットコインによる株式市場の熱狂は非常に新しいテクノロジーやトレンドにも関わらず、金本位制やラッダイト運動、アナーキズムなどの過去の歴史的なナラティブと基本的に同じことが繰り返されているというのは、経済学的な真理というよりは、人間の欲求の普遍的な心理に関わる話のように思えます。
1. ナラティブの流行は速度も規模も様々
2. 重要な経済ナラティブは世間的な話題のごく一部でしかないこともある
3. ナラティブ群は単独ナラティブのどれよりも影響が強い
4. ナラティブの経済的な影響は変化するかもしれない
5. 虚偽のナラティブを止めるには真実だけでは不十分
6. 経済ナラティブの感染は反復機会を利用する
7. ナラティブはつながりで栄える:人間的興味、アイデンティティ、愛国心
特に5で真実でないナラティブも感染する恐れがあり、2のようにそれが目立たない場合でも重要な経済ナラティブになる可能性もあって、1と4のように時間軸や規模が読めず変化するとなると、ナラティブ経済学において発見されるナラティブの感染と経済への影響とは、必ずしもわかりやすい法則というわけではありません。ここで示されるのは、個々の人々の行動に意味があるというより、社会において集合的には確率的な差となり、全体としてみると他の要因と容易に混ぜ合ってわかりにくくなりがちです。
したがってそれは正直に言えば、未来を予測することよりも、過去の行動の説明要因のひとつにしかならないでしょう。実際、シラー教授の考える「ナラティブ経済学」の説明だけでは、期待していたような、今後の経済的な変化を予測するものとしては、残念ながら難しいように感じられます。
にもかかわらず、この本が示唆的なのは、人間の行動の要因を探るうえで、いったい何がきっかけになっているのか、人間は過去から学習しているというよりは、不思議なほど同じことを何度も繰り返しているという私たちの歴史を理解できることです。
たとえば、ビットコインによる株式市場の熱狂は非常に新しいテクノロジーやトレンドにも関わらず、金本位制やラッダイト運動、アナーキズムなどの過去の歴史的なナラティブと基本的に同じことが繰り返されているというのは、経済学的な真理というよりは、人間の欲求の普遍的な心理に関わる話のように思えます。
「ナラティブ経済学」が伝えるナラティブとは何か
そして何より、シラー教授自身が、「ナラティブ経済学」というナラティブを語っているということ自体を忘れてはいけません。それは、ナラティブを明らかにすることで、人間が日々何も考えずに行動しているのではなく、起きている毎日の現象について解釈し、過去の歴史や経験を参照し、それを活用することで新しい未来に対処することが出来るというポジティブな信念です。
経済学者が「道徳」というのは、じぶんたちの行動で何が正しく、何が間違っているか、ということが経済活動の根本的な基盤になっているという信念においてです。最終的にシラー教授のビジョンでは、絶え間ない人々の声としての膨大なデータを、インターネットやソーシャルメディアにおけるネットワーク上だけでない巨大なデータベースを構築し、それをAIの力を借りながら定量的にかつ質的に解釈することで、疫学モデルのシミュレーションのようにナラティブの感染を通して、これまで経済学者が出来なかった経済動向の予測を実現できると考えているようです。
このナラティブ自体は、シラー教授の明確な意思として、「複雑な事象の結果である経済活動においても、人間の活動の結果である限り、人間を理解することによってその変化を理解することが可能」というものです。このナラティブからは、人間の知的および道徳的判断に対する信頼、テクノロジーを始めとする科学の進歩といった楽観的なビジョンのみならず、永遠に研究の対象となるわれわれ自身の総合的な人間と社会への探求といった決意が伺えます。
経済学者が「道徳」というのは、じぶんたちの行動で何が正しく、何が間違っているか、ということが経済活動の根本的な基盤になっているという信念においてです。最終的にシラー教授のビジョンでは、絶え間ない人々の声としての膨大なデータを、インターネットやソーシャルメディアにおけるネットワーク上だけでない巨大なデータベースを構築し、それをAIの力を借りながら定量的にかつ質的に解釈することで、疫学モデルのシミュレーションのようにナラティブの感染を通して、これまで経済学者が出来なかった経済動向の予測を実現できると考えているようです。
このナラティブ自体は、シラー教授の明確な意思として、「複雑な事象の結果である経済活動においても、人間の活動の結果である限り、人間を理解することによってその変化を理解することが可能」というものです。このナラティブからは、人間の知的および道徳的判断に対する信頼、テクノロジーを始めとする科学の進歩といった楽観的なビジョンのみならず、永遠に研究の対象となるわれわれ自身の総合的な人間と社会への探求といった決意が伺えます。
ナラティブから学べる企業の未来
では、このような「ナラティブ経済学」を、ビジネスやマーケティングにどのように活用できるでしょうか。シラー教授は、明らかに近年のテクノロジーの進化によるデジタルを中心としたマーケティングや、物語を伝えるセレブ等、近年ソーシャルメディアで隆盛したインフルエンサーの存在に注目しています。以前にも増してインターネットのようなインフラがナラティブの感染力を高める力になっているからです。
しかしながら、このような新しい視点のみならず、そもそもナラティブがどのように拡散されていくのか、という観点は伝統的にはクライアントの商品を社会やメディアへ受け入れ易い形で伝えてきたパブリシスト、PRの専門家の領域です。それはもともと「人々の日常的な会話のなかで話題になる」ための物語を目指しており、ナラティブがメディアを通して消費者のリアルな生活や感情と結び付ける役割を果たしていました。
シラー教授は、「アメリカンドリーム」というナラティブが、それがもともと生まれた1930年代よりも、戦後の1960年代以降に、有名なキング牧師のスピーチをきっかけに広まり、それが庶民にとって大きな買い物である家や車を買うことの後押しとして企業の広告メッセージで活用された事実を指摘しています。ここでのナラティブの効用は、単に感染力を強くするというのみならず、企業の活動が商業的・利己的なものではなく社会的意義があるということを強調しています。それが社会や個人の欲求の自然な表現として受け止められるからです。
21世紀の共生的な社会において、企業の社会的な役割は益々求められていますが、ナラティブは企業が社会のためになぜ存在しているのか、という社会的意義をわかりやすい物語で伝えやすくしてくれます。新しいテクノロジーや事業であっても、人々が過去の歴史や経験から解釈してきた物語を活用することで、その意義をより大きな社会や人間の心理や欲求と結び付け、より持続可能で強力なものにします。そして今後起こりうる様々な変化に対して、絶えずそのナラティブをアップデートするように行動を取っていくことがより良い社会の実現に企業が貢献できることなのです。
しかしながら、このような新しい視点のみならず、そもそもナラティブがどのように拡散されていくのか、という観点は伝統的にはクライアントの商品を社会やメディアへ受け入れ易い形で伝えてきたパブリシスト、PRの専門家の領域です。それはもともと「人々の日常的な会話のなかで話題になる」ための物語を目指しており、ナラティブがメディアを通して消費者のリアルな生活や感情と結び付ける役割を果たしていました。
シラー教授は、「アメリカンドリーム」というナラティブが、それがもともと生まれた1930年代よりも、戦後の1960年代以降に、有名なキング牧師のスピーチをきっかけに広まり、それが庶民にとって大きな買い物である家や車を買うことの後押しとして企業の広告メッセージで活用された事実を指摘しています。ここでのナラティブの効用は、単に感染力を強くするというのみならず、企業の活動が商業的・利己的なものではなく社会的意義があるということを強調しています。それが社会や個人の欲求の自然な表現として受け止められるからです。
21世紀の共生的な社会において、企業の社会的な役割は益々求められていますが、ナラティブは企業が社会のためになぜ存在しているのか、という社会的意義をわかりやすい物語で伝えやすくしてくれます。新しいテクノロジーや事業であっても、人々が過去の歴史や経験から解釈してきた物語を活用することで、その意義をより大きな社会や人間の心理や欲求と結び付け、より持続可能で強力なものにします。そして今後起こりうる様々な変化に対して、絶えずそのナラティブをアップデートするように行動を取っていくことがより良い社会の実現に企業が貢献できることなのです。
鈴木健
株式会社ニューバランス ジャパン マーケティング部 ディレクター
1991年広告代理店の営業としてスタートし、I&S/BBDOでストラテジックプランナーを経て消費財メーカーのマーケティング企画および調査を担当。2002年ナイキジャパンでナイキゴルフの広告、Web, PRを担当し、その後同社でウィメンズトレーニングのブランドマネージャーを経験。2009年にニューバランス入社し、ニューバランスブランドのPRおよび広告宣伝、販促活動全般を手掛ける。一般社団法人マーケターキャリア協会 フェロー。
「Narrative Genes ~ナラティブの遺伝子たち~」
企業と社会の関係性が見直される時代に注目が集まる「ナラティブ」を
PRストラテジスト・本田哲也を中心に、企業経営、ブランディングの先駆者と共に考えるウェブサイト。
「ナラティブ」とは、企業と消費者(生活者、ユーザー)との「共体験」の物語のこと。
企業経営において重要な「共創」に着目した、新たなアプローチ概念です。