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〈株式会社Strategy Partners 西口一希 × 本田事務所 本田哲也〉広告やマーケティングは、もういらない?ナラティブ時代の生き残り方

〈株式会社Strategy Partners 西口一希 × 本田事務所 本田哲也〉広告やマーケティングは、もういらない?ナラティブ時代の生き残り方

「従来の広告やマーケティングは、その役割を終えつつあるのではないか」。そう語るのは、P&G、ロート製薬、ロクシタン、スマートニュースで数々のヒットブランドのマーケティングを手がけ、現在は事業コンサルタントと投資業務を行う株式会社Strategy Partners代表取締役を務める西口一希さんです。広告やマーケティングが力を失っているのなら、これから企業はどのようにプロダクトやサービスを届けていけばいいのか。来るべきナラティブ時代のビジネスのあり方について、西口一希さんと戦略PRの第一人者である本田哲也との、日本マーケティング協会主催・オンラインセミナー『ナラティブカンパニー 〜企業を変革する「物語」の力』の対談の様子をレポートします。

ナラティブとは、物語を共に創るための構造

本田:皆さんこんにちは。本日は、株式会社Strategy Partners の代表取締役であり、M-Force株式会社の共同創業者でもある西口一希さんと一緒に、ナラティブをテーマにお話させていただきます。

まず私から、「ナラティブ」について簡単にご説明したいと思います。ここでは辞書的な意味は飛ばして、ビジネスの観点からナラティブという言葉を次のように再定義してみました。ナラティブとは「物語的な共創構造」です。まだ抽象度が高くてピンとこない方もいるかもしれません。もう少し噛み砕くと、ナラティブとは「物語を共に創る構造である」というのが、私の主張です。
物語と聞くと「ストーリー」という言葉を思い浮かべる方もいるかもしれません。ナラティブへの理解を深めるためにも、まずはこの二つの言葉の違いについてご説明しましょう。
まずひとつめは「演者」の違いです。物語の主役は誰か? ということですね。これまでブランドストーリーやコーポレートストーリーというと、主役はいつも企業でした。私たち生活者は、ストーリーのなかでは単なる聞き手でしかなかった。しかし、この関係性がナラティブではガラリと変わります。ナラティブの主役は私たち生活者。企業は物語の中の登場人物に過ぎなくなります。この主役の転換が、ストーリーとナラティブを分ける一つ目のポイントです。

次は「時間軸」です。ストーリーは始まりがあって、必ず終わりがある。けれどナラティブというのは現在進行形で、基本的には終わりがありません。これが二つ目のポイントです。

最後に「舞台」。ストーリーの舞台は企業が競争する業界などに絞られていましたが、ナラティブは社会全体を舞台とします。世の中の集合的な考え方や価値を体現するのがナラティブである、と言い換えることもできるでしょう。これが三つ目のポイントです。

ここまでストーリーとナラティブの違いを強調してきましたが、ひとつだけ共通点があります。それは起点にあるのが「創始者や企業の強い想い」だということ。今風に言うなら、パーパスがない企業には、どんなストーリーもナラティブも生まれないということです。

ナラティブがどんなものか、簡単にイメージが掴めたでしょうか。改めて繰りかえすとナラティブとは「物語的な共創構造」です。したがって、ある取り組みがナラティブであるかどうかは、この定義に当てはめれば判断することができます。
まずはそこに「物語性」があるかどうか。次にそれが「共創」されているかどうか。誰かのひとり語りではなく、複数の登場人物が共有する物語として成り立っているかどうか、に注目してみてください。最後に、それが構造として機能しているか。単発の広告やPRは、それがいくらナラティブのように見えても、ナラティブではありません。さまざまな施策の結果、総体として立ち上がってくるのが、ナラティブなのです。

企業の隠しゴトは、あっというまに暴かれてしまう時代に

本田:それではここからは西口さんとともに、議論を進めていきましょう。まずは率直に、西口さんはナラティブという考え方を、どのように捉えていますか?

西口:正直に言うと、最初に本田さんから「ナラティブ」という言葉を聞いたときには、何のことなのかよくわからなかったんです。けれど今回、著作を読んでみたら「なるほど」と頷く部分が多くて。特にナラティブとストーリーの違いは、すごく重要だと思います。
その一方で、「なぜ今、ナラティブなのか?」ということを改めて考えると、「従来の広告やマーケティング的なものが終わりを迎えつつあるから」というのが僕の理解です。それをヒシヒシと感じるようになったのが、この10年です。

企業の営業活動を支える広告やマーケティング活動の舞台裏は、20年前の生活者にはほとんど不可視なものでしたよね。けれど、インターネットの普及によって、今ではその裏側までが丸裸にされてしまった。広告でどんなに綺麗事を言っても、普段の企業活動との一貫性がないと、すぐにバレてしまう。つまり、広告の力で企業側が都合のいいイメージを消費者に一方的に押しつけることは、できなくなりつつあるのです。むしろ主導権は消費者側にあって、メーカーは彼らがお金を払いたいと思えるような価値観を提供していくしかない。そう考えてみると、やっぱり「広告やマーケティングは、もう終わりが近いのでは?」というのが私見です。

本田:おそらく、広告そのものが役割を終えたわけではないと思うんですよ。ナラティブ構造の中で機能する広告もあるわけですしね。ただ私も『戦略PR』という本を書いたので耳が痛いのですが、企業側が「戦力的に仕掛けてやろう」といった、上から目線のスタンスは、きっと通用しづらくなるでしょうね。

西口:うーん、僕はやっぱり広告やマーケティングは本来的に不要なものなのではないかという気がしてきていて。すごく単純化すると、そのプロダクトやサービスに優れた価値が備わっていれば、マーケティングやPRにお金を使わなくても、自然と生活者に受け入れられるはずなんですよ。そこでは作ることと売ることが、ほとんど一体化している。プロダクトやサービスって、本来そういうものだったと思うんです。

けれど企業活動として売上を立てなくてはならないとなったときに、いつからか職能が細分化して、営業やマーケティング、PRといった「売ること」だけを担う人たちが現れはじめた。そこからプロダクト本来の価値から乖離して、「いかに売るか」という部分だけが一人歩きするようになってしまった。これが現在の広告やマーケティングを巡る、歪な構造の根幹だと思っています。

要するに、大したことのない商品でも売らなくては始まらない、というわけです。競合商品との違いなんてあってないようなものだけれど、なんとか買ってもらわなくてはならない。まあ、僕自身も随分とそういう仕事をしてきました。だから自戒を込めて言いたいのは、競合商品で代替できるような商品なら、最初から売ったり作ったりしない方が良いということです。

言い換えるとこれからは、本質的なプロダクトやサービスをいかにつくり上げるかが問われる時代になるはずです。ものづくりの時代、と言ってもいいかもしれない。僕も30年以上に渡ってマスマーケティングの世界に携わってきましたが、引退間近になってこんなドラスティックな変化を迎えることになるとは思いもしませんでした。「ナラティブ」という言葉も、そうした時代の変化を象徴するものなのかもしれません。

地方のお惣菜屋さんこそ、最先端のナラティブカンパニー!?

本田:競合商品が溢れている、いわゆる「コモディティ商品」を、広告やマーケティングの力で無理やり売っても仕方がないという西口さんの指摘は、まさにその通りだと思います。

西口:もちろん市場の健全性を保つには、ある程度の競争は必要でしょう。けれど過度な競争は、消費者だけでなく、地球環境にとっても悪影響です。

本田:ちなみに西口さんは、広告やマーケティングによる不毛な競争がない世界を、どのように想像していますか?

西口:地方の個人商店のイメージが近いのかもしれません。例えば、自分でつくったお惣菜を店先で売っているお惣菜屋さんとか。買ってくれるお客さんの顔を直接見て、「おいしかったよ」「今日はイマイチだったな」といった声に耳を傾けながら、日夜お惣菜をつくって売っている。これってすごくナラティブな商売のあり方だと思うんですよ。

今後は、多くの企業が、こういった地方の個人店のような商売のあり方に、回帰していく気がするんです。誰に対して価値を提供するのかというイメージを明確に持って、常にお客様のフィードバックを受けながら、商品の質を高めていく。そういう終わりのないものづくりのプロセスが、商売の基本になっていくのではないでしょうか。

本田:それは生活者の価値観にフィットさせていくこと、つまり顧客起点であることがますます重要になるということでしょうか?

西口:そう思います。そこがすごく大切になってくるはずです。

ナラティブもパーパスも、儲けるための手法ではない

西口:今ちょうど視聴者の方からなかなか鋭いコメントをいただいているので、それについて話し合いたいと思います。

「ナラティブマーケティングこそが、新しい“裏側”の手法ではないでしょうか」

このコメントは、結構本質を突いていると思います。「ナラティブ」という手法を使って、ひと儲けしてやろうといった考え方だと、ご指摘のとおりすぐにきな臭さを嗅ぎ取られてしまうでしょう。けれど、そもそも「儲け」が目標になっている時点で、それはナラティブとは呼べないと思うんです。

本田:そうですね。それはナラティブとはかけ離れた行為です。

西口:だから『ナラティブカンパニー』を新たなマーケティング手法を紹介した手引き書として読むこと自体が、大きな誤解だと思います。

本田:そうなんですよ。ナラティブは考え方であって、方法論ではない。まずは起点となるパーパスや信念があって、それを体現する商品もある。その前提があった上で、はじめてナラティブが立ち上がるんです。だから「売上を上げるためにナラティブを導入しよう!」という発想では、うまくいかないと思います。

西口:「パーパスがあれば全てがうまくいく」という誤解にも、通じるものがありますね。パーパスにしても、僕は結果的に生まれるものだと捉えています。まずは課題やニーズがあって、それを解決するために企業が新たなプロダクトやサービスを生み出し、消費者に提供していく。パーパスというのは、そういう企業活動を続けるなかで自然と明確化されていくものだと思うんです。だから僕は最近流行りの「とにかくまずはパーパスを書きましょう」みたいなやり方には、ちょっと違和感があります。

本田:「よくわからないけどパーパスというのが流行っているから、ウチでも作ろう」という発想だと、パーパスを設定しても恐らく何の効果も生まれません。ただ急激に組織が大きくなると、その過程で創業当時の想いが共有できなくなることもあるはずです。そういうときに一度パーパスというかたちで、自分たちの想いを可視化するのはアリだと思います。

西口:確かに。創業メンバー以外の新たなメンバーが加わるタイミングで、パーパスを設定するのは効果がありそうですね。ただ言葉としてのパーパスをいくら唱えても、あまり意味がないという気もしていて。むしろパーパスを設定するために議論する過程にこそ、ナラティブ的な意味があるのではないでしょうか。

本田:本当にそう思いますね。パーパスは、つくり上げるまでのプロセスこそが重要ですよね。だから、「なんかカッコいいパーパスつくってよ」と外注したりするのは、まったくトンチンカンな話だと思います。

このプロダクトがなくなったら?と想像してみる

西口:すこし話が戻ってしまいますが、マーケティングを「売るための手法」と捉えている限り、消費者との間にどんなナラティブも生み出せないと思うんです。プロダクトの価値でなく、手法の力で売ってしまうと、結局いつかはそれがバレて、お客様の共感を失ってしまうわけじゃないですか。

それは言い換えると、信念や物語性はプロダクトにこそ宿る、ということではないでしょうか。もっと正確に言えば、プロダクトが提供する便益。他のプロダクトとは何が違って、どんな独自の価値を提供してくれるのか。そこに信念や物語性が宿るのだと思います。

本田:つけ加えるなら、社会的な見立てというか、世の中の変化をどのように捉えていくかという視点も、ナラティブにおいては重要だと思っていて。自社のプロダクトなりサービスなりが、社会のなかでどこに位置づけられるのかを常に意識することが非常に大切だと思います。

西口:社会的な存在理由が明確でなければならない、ということですよね。そのプロダクトが存在しなくても、誰も困らないというのであれば、もはやナラティブとか言っている場合ではない。そういう意味では、自社のプロダクトやサービスを「これがなくなったら、何か困りますか?」という視点で点検してみるのもいいかもしれませんね。

本田:それはちょっと恐ろしい提案ですね。身も蓋もないけれど、なくなって困るのはそれを売っている企業だけ、なんてことになるかもしれない。

西口:でも、そういうプロダクトを一生懸命売っていったとしても、結局のところはうまくいかないのではないでしょうか。これは自分の経験ですが、企業の一方的な押し売りは、もはや通用しません。むしろ最近では、広告やマーケティングの力で、強引に商品を売ることができた80~90年代が特殊な時代だったのではないかと思うほどです。

本田:なるほど。実はあの時代が特殊で、70年代以前と現在がつながっているという。

西口:60年代や70年代は明らかにプロダクトもサービスも足りていなかったので、需要に応えてさえいればよかったわけです。まあ割と単純な時代だったわけですが、売り手と買い手の距離も近かったから、ある種のナラティブは自然と根付いていたと思うんです。一方で、80年代や90年代はマスコミュニケーションを使って売る手法がすごく発達したけれど、ナラティブ的なものは急に存在感がなくなってしまった。

本田:70年代までの自然発生的なナラティブが消えた。というよりも、ものすごく見えにくい時代になってしまった、のでしょうね。夢中で話していたら、すっかり時間になってしまいました。西口さん、最後にひと言いただけますでしょうか。

西口:僕個人の想いとしては、プロダクトやサービスが、誰に対してどういう価値を提供しているのかを考えるところから、ビジネスをスタートしていただきたいですね。起点になるのはいつも顧客です。それをベースにして、ナラティブをはじめとしたコミュニケーションのあり方を設計していくことが大切だと思っています。

「Narrative Genes ~ナラティブの遺伝子たち~」

企業と社会の関係性が見直される時代に注目が集まる「ナラティブ」を
PRストラテジスト・本田哲也を中心に、企業経営、ブランディングの先駆者と共に考えるウェブサイト。

「ナラティブ」とは、企業と消費者(生活者、ユーザー)との「共体験」の物語のこと。
企業経営において重要な「共創」に着目した、新たなアプローチ概念です。

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